第十二話


怪我の応急処置をするため、レイピアはゴツゴツした岩肌に横になっていた。怪我自体はたいしたことはないらしいが、問題は毒だ。
毒を浴びてから少ししか経っていないはずなのに、レイピアにはもう痛みすら感じないくらい意識がぼんやりとしてきていた。
そんな中タイムはレイピアのシャツの背中をめくって傷の様子を見た。血に混じって紫色の液体が、傷口からツンと鼻につく小さな煙を漂わせ、まるで皮膚を溶かしているようだ。


「スコーピウス」

「わかってるっつの」


タイムが顔を上げて呼びかけるまでもなく、スコーピウスが両手をレイピアに向けると、光線を出す時とは別の形をした小さな魔法陣が、レイピアの傷口を覆うように現れる。
少し青白く光りながら傷口をくるくると回りだす。痛みすら感じなくなっていたレイピアだが、その魔法陣からは暖炉の炎で温まっているような、ほんのりとした温かみを感じた。


「うっわぁ有害物質のオンパレードじゃん。これくらってよく意識保ってられんなぁ感心するわ」

「感心する暇あるならさっさと解析して解毒しろ天才」


タイムが文句を言うものの、邪魔になると分かっているのかいつものように叩こうとはしない。
スコーピウスはこの天才に任せとけといわんばかりににやりと笑い、手を軽く叩いてゆっくりと横に広げると、空中に青白く光る四角いボードのようなものが現れた。
額にうっすらと汗をかきながらスコーピウスがボードを両手で叩いていくと、傷口の魔法陣が黄色く光り始め、紫色の有毒液体が蒸発するように消え始める。

一方ベインは動かなくなったマンティコアの頭部を探り、両手剣を取り出していた。
スコーピウスの光線をまともに受けていた両手剣は奇跡的に無事で、まるで磨かれたかのようにほんのわずかな太陽光を受けてキラキラと光っている。
ふと、何かに気がついた様子のベインは、マンティコアの頭部をじっと見つめたまま、スコーピウスに声をかける。


「レイピアの治療、出来るだけ急げるか?」

「イヒヒヒッこれでも急いでる方なんですけどねぇ」


タイムがベインのほうに顔を向けると、ベインはマンティコアを見つめながらゆっくりと後退り始めた。


「傷口が回復してるぞ。このままだとまた暴れだしそうだ」

「魔法耐性に続いて回復能力っすかー? イヒヒヒヒヒヒッおもしろくなってきたねぇ」


ボードを目にも止まらぬ速さで叩きながら、スコーピウスは楽しそうに甲高い声で歓声を上げる。
毒も大分少なくなり、レイピアは周りがしっかり見えるくらいに意識もハッキリしてくると同時に、背中の痛みが一気に引いていく。
まだ若干痛みは感じるものの、背中に心地よい温かみと、毒が溶けていっているのか、炭酸水のようなシュワシュワとした感覚。
その横でタイムがマンティコアに目を向けると、バキボキと不吉な音を立てながら骨が生えていき、恐ろしい勢いで肉片が花開くように復活していく。
頭のない巨体が立ち上がろうともがきはじめるのをタイムは目を細めて見つめ、溜息混じりに呟いた。


「どっちにしろ解毒が終わったら一旦ここから離れた方がいい、嫌な予感がする」

「おいやめろ、おめぇが嫌な予感する時はスリルすら味わえねぇ程やばい時だけだ」


スコーピウスが噛み付くように言って額の汗を袖でぬぐい、ボードを畳むように両手でパチンと閉じて消し、解毒完了とまた決めポーズ。
レイピアが恐る恐る自分の背中に触れるてみると、毒どころか傷口さえも塞がり、怪我する前の状態に戻っている。
お礼を言おうと飛び起きたレイピアがスコーピウスの方を向いた時、スコーピウスの後ろにいた武装集団が数人、血飛沫をあげて破裂した。
びしゃびしゃと派手な音を立てて、内臓までしっかり見えるほど粉々に砕けた肉体からは、強い鉄の臭い。
レイピアは急に胃の方から気持ちの悪い何かがこみ上げてくるのを必死で押さえ、気を紛らわせるように周りをきょろきょろと見渡す。


「あ、ミスった。マーティふっとばしたゴーグルくん狙ってたのに〜」


不意に聞こえたへらへらした声の方を向くと、真っ黒な装束服に身を包んだ、優しそうな顔に白いおかっぱ頭の青年が、岩山に腰掛けて右手でこちらを狙っていた。
にっこりと笑いながら血と肉片と化した戦士を、まるで失敗したものを見る残念そうな、それでもなんの痛みも感じないような顔で見下す。
青年が死んだ戦士を一瞥したあと、ぐるりと首を回して黄色い目をレイピア達に顔を向けると、レイピアは背中にぞくりと悪寒が走る。
黄色い瞳にその周りは黒く、レイピアはまるで心の奥底まで見抜かれているような、居心地の悪さを感じて目をそらすと、その青年が持っている大きな杖に目が移った。
身長以上はあろうかという長くて大きな杖、そこには頭より一回り大きい、血のように真っ赤な丸い石がずっしりと乗っている。


マルティネアコアだ
直感的にそう思った


直後、レイピア達の背後でズシンと振動が伝わり、振り向くとマンティコアが完全に回復し、恐ろしい形相で仁王立ちしている。
しかし青年がマンティコアに向かって嬉しそうに声をかけると、小動物のような愛らしい表情を向けて大きく吠えて答えた。
青年がにっこりと笑い手を振ってマンティコアに激励を送ると、黄色い目をレイピアたちに向け狩猟的な顔で面白そうにニヤリと笑い、レイピアは思わずたじろいだ。


「ジルニクォーツか。面白い、実に面白くなってきた。マーティくんどっちが先に倒せるか競争だからね!」


青年がそういって杖をくるくると回し始めると、杖の先から黒紫色のもやが現れ、雲のようにもくもくと漂い始める。


「あぁ一応自己紹介しとこうか、新生皇帝ブラデス=オリバデス。よろしくね、そしてさようなら」


青年、ブラデスはそういってレイピアたちに狙いを定めると、黒紫色をしたもやが、蛇のような動きをしながら大量に襲いかかった。
レイピアたちは一斉に散り散りになった。もやが当たったところは音もなく弾けて灰に変わり、サラサラと風に流され始める。
ブラデスの狙いはレイピアとスコーピウスのようだ。毒の怪我自体は治ったものの、先程の戦闘でかなり体力を消費していたレイピアに避けられるはずもない。


もやが当たる直前にレイピアの体がぐらりと傾き、気がついたら耳につくような甲高い声で高笑いしているスコーピウスの肩に担がれていた。
レイピアが声をかける間もなく右に左にと振り回してもやを避けていくスコーピウス。その肩の上でぐらぐらと揺られ、胃の辺りから気持ちの悪いものが喉までこみ上げてくる。
うっと声を上げて口を塞ぎ何とか耐え凌いでいると、マンティコアの攻撃を避けて遠のいていくタイムとベインがレイピアの目の端にチラリと映る。
タイムが反対方向に突っ走っているスコーピウスに何か叫ぶ声が聞こえたが、スコーピウスはそれも構わない。彼にとっては今感じることができるスリルのほうがよっぽど重要なようだ。
心なしかスコーピウスはあえて走るスピードを落として、もやとの距離を縮めているような気がしてどんどん不安になっていくレイピア。
抱え上げられたレイピアからはスコーピウスの走る方向こそ見えないものの、背後から追ってくるもやと、狂気じみた笑みを浮かべながら恐ろしい速さで走るブラデスの姿がはっきり見える。
一瞬、ブラデスが目を大きく開いて笑ったのが見えたと思ったら、レイピアの周りがろうそくの明かりを消したかのようにいきなり真っ暗になった。
視界がなくなったと同時に、水に溺れるかのように口から何かが大量に肺に送り込まれる。しかしそれは水よりもずっと重く、咳き込みなんとか吐き出そうとするもそれ自体が意思を持っているかのように喉から外へ出ることを拒む。
何が起こったかもわからず、息もできない状態でパニックに陥ってしまったレイピアは、死に物狂いでひたすらもがくがそれで助かるわけもなく、地面にぶつかったような感覚があったと思った瞬間、そのままぷつりと意識が途切れた。






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