第十話


薄暗く巨大な洞穴の中、それは大きく鳴っている腹の音を必死に無視して眠ろうとしていた。生まれてこの方、満足に食事をしたことはないが、それはどうしようもないことだ。
空腹を忘れて眠ろうと、休める姿勢を探してゴロゴロと岩の上で寝返りを打つが、どうにも苛立ってしまう。ただでさえそれにとっては少ない食料が、ここ最近では減る一方だった。
しかし先ほどまでゴロゴロしていたそれは、何かの匂いをかぎつけたのか、起き上がってじっと洞穴の入り口の方を見つめる。
間もなくして、真っ黒な装飾服を身に纏い、顔より一回り大きい血のように赤い石がついた杖を持った男が現れた。
その男は、本来白目をしているところは真っ黒で、怪しく光る黄色い瞳をそれに向けると、ゆっくりと語りかけた。


「まもなく久しぶりに新鮮な肉がたくさんくるから、それを食べなさい。ゾンビの肉はもううんざりだっただろう?」


男が優しそうにそう告げると、それは満足そうに喉を鳴らして舌なめずりをした。



一週間経ってもレイピアの背負う岩の大きさは変わっていなかったが、岩を背負っていることが嘘のように身軽に動けるようになり、これにはレイピア本人がかなり驚いていた。
しかしベインはそれでもあまり納得していないらしく、つい先日岩の大きさが倍になり、レイピアは一週間前と同じような状況になって幻滅する。
何故ならこの一週間、ジルニクォーツを操る特訓と平行して体力づくりのためただひたすら走り続け、夕方にはテントに倒れて眠り込むのがお決まりのパターンだったからだ。
ようやく前と同じように動けるようになってきたのにと、キャンプをしている近くの岩山を這いずりながら、レイピアはこれに慣れるのにどれくらいかかるか考える。
数時間で登れる程度の小さな山だったが、傾斜が急なため、普通の人でも走るどころか歩くのが精一杯なのに、それに加えて大きな岩を背負っているので、今は這うしかない。
雲が多かったせいで時間の経過は分からなかったが、朝からずっと這い登っているレイピアは、汗まみれでくたくたの状態だった。しかも、まだ山の中腹部までしか登れていない。
この調子じゃ山頂まで一日いっぱいかかるだろうから、ジルニクォーツの特訓は休めないだろうか。
レイピアがそんなことを考えて無意識に腕を動かしていると、右手をわずかに空いた亀裂に突っ込んでしまい、岩の重さも手伝ってそのまま亀裂の中に滑り込み、レイピアはそのまま深い闇の中へと落ちていった。



「妙だな」


岩山のキャンプ場で火をおこしながら、タイムが呟く。頭の包帯も取れ、傷跡もすっかりなくなっていた。
慣れた手つきで火打石から焚き木に火をつけ、息を吹きかけて炎を大きくすると、側の岩に腰掛ける。
その後ろでスコーピウスは頭の後ろで腕を組んで、退屈そうにまた謎の動きをしていたが、タイムの一言を聞いてちらりとそちらを向いた。


「なにが妙なんだ?」


すぐ隣で剣を振り回して訓練をしていたベインが、休憩がてらタイムの側に置いてあった薪の山に腰掛けて聞き返す。
タイムは炎から目も上げず、無意識に手を頭に伸ばしてぼさぼさの髪をさらにぼさぼさに掻きむしった。


「あれだけ必死になってジルニクォーツ探していたにしては、この一週間ガーゴイル一匹とも遭遇しなてない。
 これだけ時間が経ってると、プレーズがやられたって向こうが知らないとも考えられないし」

「右腕がやられたからこそ、向こうも慎重になったんじゃないのか?」


炎をじっと見つめるタイムに、ベインは一応意見を述べてみる。


「不老不死になってる奴がそこまで慎重になるかね。それこそ本人が乗り込んできてもいい気がする。
 向こうはプレーズがやられたこと知ってるにしろ、ジルニクォーツとレイピアについて知ってるとは思えない。
 レイピアはぶっつけ本番でジルニクォーツ使ってプレーズを倒したんだから」

「言われてみれば、確かに変だな。これでは余計な犠牲をなくすために街中を避けて通ってきた意味がない」

「変と言いやさ、この岩山おかしくねぇ?」


ベインが皇帝の行動について考えようとした矢先、スコーピウスが話に割り込んできた。ベインはスコーピウスを無視して考えをめぐらせるが、タイムは眉を吊り上げて聞き返す。


「この岩山が変だって?」

「なんつーか、そこら辺から死体の臭いがプンプンするし。なによりこの地形、自然現象で出来たもんじゃねーぞ」

「自然現象じゃないってどういうことだ?」


スコーピウスが岩山を眺めながら体を前後に揺らす、ベインは考えるのをやめてスコーピウスに目をやり、タイムも炎から目を上げてさらに問い詰める。
スコーピウスはしばらく岩山を観察、分析するかのように眺め回した後、結論が出たような様子で話を続けた。


「誰かが意図的に作った山みてぇだわ。しかも見た感じじゃ多分これ何かを隠すためだろ。イヒヒッ、山まで作って一体なに隠してんだろうねぇ?」


その時、まるでスコーピウスの言葉を肯定するかのように、その山の中心部分から地響きのように、何かが吼えた。
タイムがすばやく立ち上がり、側に置いてあった刀を左手で取り握り締める。ベインも両手剣を握り締めるが、テントの影から突然ライミが現れ慌てて剣を収めた。


「レイピアさんはまだ山で基礎訓練中ですか? そろそろ昼食なので呼び戻しに行きましょうか?」

まずいぞ!!


タイムとベインが顔を合わせて同時に叫び、そのままキャンプ場を飛び出して岩山の道を走り出す。スコーピウスも待ってましたとばかりに手をすり合わせながら後に続く。
ベインが駆け出したのを見て、武装集団の2、3部隊ほどが武器を持って彼を追いかけ、ライミはなにがなんだかよくわからず、頭を斜めに傾けたままただ呆然と突っ立っていた。

大きな地響きで目を覚ましたレイピアは、体が自然と軽くなっていることに気がついた。どうやら落ちる途中で岩が砕けて外れたらしい。
蛇のように絡み付いている縄をどかして周りを確認するが、真っ暗で何も分からない。上を見上げると、落ちてきた隙間が米粒のように小さく儚げに輝いている。登るのはどうも無理そうだ。
とりあえず出口を探そうと暗闇に目を凝らし、両手を突っぱねて道を探すと、岩壁のようなごつごつしたものに手が触れた。
レイピアは悩んだ末に岩伝いに左に進むことにして、右手を岩に沿わせ、時折見えない岩にぶつかったり転んだりしながら先へと進む。

50歩程進んだところで先のほうから微かに水音がして、急に喉が渇いて無意識に足を速める。
すると急に右手で這わせていた岩壁がなくなり、岩の小さな窪みか何かに足を引っ掛けて、地面の上をゴロゴロと派手に転がっていった。
痛みに呻いて擦りむいた足を抱えるレイピアだが、前方からなにかが擦れるような音に飛びのいた。
姿は闇にのまれて見えないが、かなり響く足音のような振動音でそれがかなりの大きさをしていることが容易に想像できる。
風を切るような音とともに衝撃が走って地面が揺れ、ガラガラと岩が崩れる音。
その音から離れるように後ずさるレイピア。レイピアがそれを見ることができないように、それもレイピアを視認することができないようだ。
数回地面をたたくような音と衝撃が繰り返されル中後ずさっていたレイピアだが、背中が岩壁にぶつかってそれ以上下がることができなくなった。
その時今までに聞いたことのないような、人間のものとは思えない動物的な嗄れ声が、動物の唸り声とともに突然レイピアに向かって話しかけてきた。


「どこだ、どこだ。腹ペコだ、喰わせろ」


凶暴な声と聞こえたフレーズに驚き叫び声をあげそうになるが、とっさに口に手を当てて防ぐレイピア。
そのまま気付かれないようにそっと岩壁に沿ってその場から離れようとするが、それは小石の転がる音にも敏感に反応して威嚇するように喉を鳴らし、レイピアは恐怖で氷のように固まって動けなくなった。
だがそれは痺れを切らしたのか、大きな衝撃が走り、岩が轟音を立てて転がり落ちてくるとともに、数本の光が闇に差し込んだ。

差し込んできた明かりに照らされたそれを見たレイピアは、鋭い爪の生えそろった黄土色で、明るい茶色の立派な鬣の生えた、数十倍の大きさをしたライオンだと思った。
しかしそれにはあまりにも異様なものが組み合わさっている。
そこから生えているしっぽは普通のものよりもずっと長く、先には無数の大きな棘が生えており、本来ライオンの顔があるべきところにあった人の顔は、光に照らし出されたレイピアを見つけて大きく吠えた。


マンティコア

人の顔、体はライオンのような怪物。長い尻尾には無数の毒針がついており、

その食欲は底を知らない。






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