第一話


僕が今まで生きてきた人生最大の難関だ。
教室という戦場で、チョークという武器を手に、レイピアは黒板に書かれた果てしなく長い計算式を前に頭を悩ませていた。
元々貧しい家庭で育ったレイピアは、買い物に使う程度の計算式しか身に着けられず、見たこともないような記号や形をした文字の羅列に恐怖さえ覚える。
一応スコーピウスに科学についてのそれなりの説明は聞いたものの、彼がペラペラと話す計算式はまるで外国語のようにレイピアの頭の中には入らずもちろん残ってもいない。
もっときちんと説明を聞いておけばよかったと後悔もするが今更遅い。

「レイピアさん、こんな計算もできないのですか? 本当あなたは今までどこで何を学んでいたんですか?」

真後ろに立っている先生からイライラした口調で叱られる。
学校一の落ちこぼれ、先週転入して以来すぐレイピアに張られたレッテルだった。

レイピアたちが乗っていた不思議な力を持つ大樹コロニー、その中でスコーピウスが仕込んだような爆発事故を起こし、全員がバラバラに別れてしまった。
唯一の救いは“移動中”でなかったことで、おそらくみんなこの世界のどこかを彷徨っているということ。
そして郊外で目を覚ましたレイピアはタイム達を探して散々街中を迷った挙句、“補導”というものに捕まってこの学校に放り込まれた。
なんでもこの世界は子供は生徒、大人は教師として全ての人間が全寮制の学校に属しており、校舎内で生活している。
スコーピウスから聞いた学校というものとは程遠くかなり大型の施設で、どちらかというと集団生活居住区に近いが、授業をする教室もしっかり整備されている。

「レイピアさんもういいです、放課後補習。全く、1週間もたつのに何一つ覚えないなんて」

悲嘆にくれる先生に後ろめたさを感じながらこそこそと席に戻る。窓際の一番後ろで、そこに戻る間でも教室中の明らかに馬鹿にした視線が降り注がれた。
先生が他の生徒を呼びその生徒が答えをスラスラと書いていくのを眺めては、やっぱりわからないと憂鬱になる。

「気にしないで、あの先生生徒の悪いとこばっかり指摘してるヤな奴だから」

隣の席に座っている赤いつややかな髪によく似合う薄いピンクのニットワンピ―スを着た、学級委員のキアラがそっと声をかけてくる。
学校に放り込まれて以来何かと構ってくるのだが、彼女のおかげでこの世界の常識を知ることもできたし、先生が出す毎日の補習にも付き合って勉強も教えてもらっている。
最初、レイピアが足し算と引き算しかできないという事実を知ると信じられないという顔をしていたキアラなのだが、親身になって勉強を教えてくれる彼女のおかげでなんとか授業で出てくる簡単な問題の方は1、2問は解けるようになっていた。
しかしタイム達と合流しようにも補習のせいで放課後のほとんどの時間を取られている上、もう一つ問題が。


授業が終わり、先生が退出していく。
そして、授業終了のチャイムが鳴った。


それと同時にパリンと窓が割れ、黒板消し型の手榴弾が教室にコロンと転がり、大きなチョーク煙を上げて爆発した。
爆発を合図に高学年の生徒が教室に一斉になだれ込み、教室内は一瞬にして文字通り戦場と化す。
頭上を飛び交う鉛筆や消しゴムの弾丸、キアラが先導して高学年に、チョークマシンガンを乱射して反撃しているが、何度見てもこの光景には慣れない。

この学校内では高学年の生徒と低学年の生徒に分かれており、何故か知らないが事あるごとに対立しているらしく、ここ最近それが激化しているらしい。
机の下に潜り込んでこの様子を眺めながら、発展した科学もろくなものじゃないとレイピアは実感する。彼らの持っている武器は全て彼ら自身が作り上げたものなのだ。
レイピアは最初は何とか話し合いで解決させようとしたが、特に死傷者も出てないこともあり、無駄だと分かった瞬間諦めた。
しかし休憩時間の教室戦争はもちろん、放課後には帰宅路が戦場と化すため、補習で時間を削られているレイピアがタイム達を見つけることはほぼ不可能に近かった。
休憩時間終了のチャイムの鳴る30秒前きっかりに高学年は退散し、クラス中が乱れた机や椅子を直していく。鉛筆は文字を書くためのものであって、椅子に穴を開けるものではないはず。

放課後、レイピアはキアラと一緒に補習で勉強したあと、いらなくなったプリント製地雷を避け、戦いで走り回っている生徒達とチョーク弾丸の間をかいくぐって学校内を探索する。
一週間探索してもしきれないぐらいに広く、ましてやあの二人が真面目に授業を受けているとも思えない。
しかしスコーピウスが向かいそうな科学関係の教室は全て見て回ったし、タイムがいそうなサボれそうな場所は大体先生が見張っている。
ここまで探していないとなると残るは二人が本来いるべき高学年の教室だが、低学年であるレイピアが簡単に入れる場所ではない。少なくともジルニクォーツを使わない限り。

日もすっかり暮れて薄暗くなり、生徒に帰宅を促すサイレンが廊下に空しく響き始める。
帰宅時間を過ぎると、寮と教師の使う教室以外電気が付かなくなる。そのためサイレンが鳴ると同時に放課後の戦争は終了するのだ。
消灯後が二人を探す絶好のチャンスなのだが、帰宅時間を過ぎても帰宅しなかった生徒が何者かに襲われている事件が相次いでいるらしく、先生も耳にタコができるほどしつこく言い聞かせていた。

このまま何時までこの学校で過ごせばいいのか、物思いにふけりながらゆっくりと帰路につき始めると、背後から聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。
何事かと足早にその方向へ向かうと、そこは窓のない廊下の一つで、キアラが鉛筆銃を握りしめて後ずさりしている。
声をかけようかと迷った時、廊下の奥の闇の方から唸り声が聞こえて白くて足のない人間のようなものが2体、ふわふわと空中を浮遊しながらキアラに両手を出して近寄ってきていた。

誰がどう見てもこれは幽霊だ。

キアラは振るえる腕で銃を撃つが鉛筆弾は幽霊の体をすり抜けて飛んでいき、なおも幽霊はキアラに近付いていく。どうやら武器が効かないらしい。

逃げたほうがいいと判断したレイピアはそっとキアラに近付き手首をつかんで走り出す。キアラが一瞬声を上げたが気にせず強引に引っ張る。
幽霊は逃げ出した途端、滑るように速さをつけて追ってきた。
窓のある廊下に出たとき、日は地平線の彼方に姿をくらまし、別の幽霊が3体、その廊下に先回りしていた。
後ろからさっきの2体が追いついて、ジリジリと間合いを詰めて襲うタイミングを伺っている。


仕方がないや。もう他に手がない。


レイピアは首元に手を突っ込んでネックレスを取り出す。
スコーピウス特製のネックレスに繋がったジルニクォーツを手に取って前に突き出すと、星の形をした手が目の前に現れる。
手で振り払うような仕草をすると、星の形をした手はそれと同じことをして幽霊の一体を引っ叩き、幽霊は煙のように掻き消えた。
同じ動作でもう1体を倒した後、振り返ると先回りしていた幽霊は逃げるように滑り去って行った。もう襲われることはないだろう。
一仕事終えた感覚でジルニクォーツをしまっていると、不意に後ろ頭をきつくガツンと殴られた。

「なんでそんな切り札黙ってたのよ!」

かなり怒った表情のキアラがレイピアの首をがっちりと掴んでぎゃあぎゃあ言いながら前後に激しく揺らし、目が回るのと息ができないのと耳元の大声で頭がくらくらする。
なんとか振り払ってげほげほと咳き込んで息を整えた後彼女の方を向くと、かなり怖かったのか怒った顔に涙の跡があり深緑色の目にもまだ若干涙が溜まっていた。

「あんなことができるなんて、あんたさえいれば私たちは勝てるわ!」

怒った表情のままキアラが叫んだ。





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